2024年12月22日 クリスマス礼拝
序
クリスマスは、神の子イエス様が、人間として生まれたことを記念する礼拝。主イエスは人間に与えられた最高のプレゼントである。プレゼントを受け取ったなら包みを開けて何をもらったのかをよく知らないと、感謝がわかない。私たちに与えられた「主イエス」というプレゼントの意味をよく理解しよう。
1.主イエスは世界を造った神
- 主イエスは初めにおられた。神とともにおられる神であった。神は父・子・聖霊という別々の人格をもつが、ベラバラではなく一つのお方。子が主イエス。もともと神であり、この世界も人間も創造された方。
- 神によって造られた人間は、造り主のことを忘れてしまった。自分のいのちがどこから来て、死後はどこに行くのかを知らないのは闇。神は闇の中にいる私たちに光を与えてくださった。「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。(4)」
- 主イエスは人の光となるため、人となった。その光とは、すべての人の罪が贖われ、神との関係が回復すること。主イエスは贖いの代価となるため、人となってくださった。
2.主イエスは人となられた神なので、恵みとまことに満ちていた
- 主イエスは人となったが心は神であり、神の力も発揮された。福音書には主イエスが神の子であることを示す言動がたくさん記録されている。いくつか思いおこしてみよう。
- ①奇跡の力 多くの病人が癒され、嵐が鎮められ、死人が生き返った。水をワインに変え、5つのパンで5000人以上の人々を満腹にした。人の心を見抜き、離れた場所にあるものを把握し、将来の予告も全て的中した。
- ②深い愛 ツァラアトに冒された人が「お心ひとつで」と求めた時に、彼に触って癒された。取税人のザアカイにご自分から近づき友となられた。三度主を否んだペテロを赦し、大きな使命を託した。人の罪を贖うため、十字架の苦しみを耐え忍ばれた。
- ③偉大な知恵 主イエスは多くの教えを語られた。特に有名な山上の説教(マタイ5-7章)においては、「殺すな」の本意を解き明かし、誰もが罪人であることを納得させた。世渡り上手になるのが幸いではなく、天に宝を積むことが幸いという真理を解き明かされた。
- 実際の主イエスの姿を振り返ると、確かに主イエスは恵みとまことに満ちておられた。主イエスは本当に神であり、私たちの救い主なのである。
3.主イエスを救い主として受け入れた人々は、神の子どもとしていただける
- 主イエスは真の神。私たちは被造物に過ぎない。その私たちが、イエス様と並ぶ神の子にしていただけるとは驚き。主イエスの語る救いは、なんとか天国にもぐりこむような低いレベルの救いではない。神の家族とされ、恵みとまことに満ちている神の御前に、遠慮なく立つことのできるような、深い交わりに入れられるのである。
- 私たちに求められているのは、主イエスを自分の救い主として受け入れること。主イエスこそ自分の罪の身代わりになって死刑になり、罪を清算してくださったと信じること。また主イエスは死から復活した。同じように主イエスを信じる者も復活して永遠のいのちが与えられる。こうした主の教えを信じることである。
結
主イエスを信じよう。実際に主イエスと住んだ使徒ヨハネは「私たちはこの方の栄光を見た(14)」と記した。さらに聖書をよく読んで、私たちに与えられたプレゼントである主イエスが、人となった救い主であることを知ろう。