2024年11月17日 主日礼拝
序
イザヤ書の学びの最後は、私たちに啓示された神のご計画の最後の部分でもある「新天新地」について。全てのご計画は新天新地の実現に向かって進んでおり、私たちもそのみわざの中で生かされていることを覚えよう。
1.「わたしは…創造する」
- 主は創造者。今のこの世界も私たち自身も主によって創造された被造物。造り主はこの世界はどこかで終わらせ、新しい天と地を創造すると決めておられる。終わりの時がいつかは私たちにはわからないが、必ずその時が来て、全く新しい時代を迎える。
- これは神の意思による。成り行きや、仕方のない運命というものではない。神が計画して実現のための努力も重ねておられるからこそ、実現する。「神の意思」に賛同し喜ぶ者は幸い。反対に神の意思に賛同できない者は、神を恨む。
2.先のことは思い出されず
- 新しくなるということは、古いものは過ぎ去るということ。
- ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。
- 古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5:17)
- 忌まわしいものが滅ぼされ過ぎ去ることは幸い。自分が聖なるものだと高ぶり(65:5)、神の目に悪であることを行う者(65:12)は、滅ぼされる。
- しかし私たちは自分たちの作り上げてきた文化や思い出が過ぎ去ることを残念に思う。
- 過去を忘れずに記憶を受け継ぐことは、人間を大事にする観点からも、重要だと考えられている。ならば「思い出されず」とはどういうことか?
- 「思い出されず、心に上ることもない」というのは、記憶を抹消するという意味ではないだろう。新しい時代の素晴らしさが圧倒的なのだという意味だろう。
- 今の時代は通過点。電車に乗っている間は、電車は大事。事故などで停車したら大変。うまく動いて欲しいし、同乗の方々ともトラブルなく気持ちよく過ごしたい。しかし、目的の駅で降りれば、もう電車の中のことは過ぎ去る。この時代が続く間は大切であることも、いつか過ぎ去る。しかしその時までは大切にすべきこともわきまえよう。
3.主は喜ぶ
- 主は新しいエルサレムを喜ぶ。(65:18-19)
- 新しい天と地に住む者は、神の御心にかなう生き方を、自分の意思で行うから、神はそれを見て喜ぶということだろう。
- 教会で遊ぶこどもたちが、仲良く過ごしている時、この場所を提供できてよかったと感じる。しかし、いがみ合う時には、ここにいて欲しくないと思う。神も、私たちが真に愛し合って生きることを望んでおられ、必ずそれを実現される。