2024年10月20日 主日礼拝

イザヤ書63章7-10節

國分広士牧師

1.主の豊かな恵み

  • イザヤの前の時代に主の豊かな導きの記録があったし、イザヤ自身も預言者として長く働き、多くの経験を重ねてきた。それで「主の奇しいみわざ」をたくさん知っており、それを語り告げると言う。
  • 深い予備知識なしに語るときには単純なことしか語れない。しかし深い予備知識があれば、複雑なことを語れる。イザヤの語ろうとしているのは複雑なこと。主の深いみこころを語ろうとするので、深い予備知識を必要としていた。

2.私たちが苦しむときには、いつも主も苦しみ

  • 主の民として歩んだ人々は、数々の苦しみを味わった。アブラハムは子孫がなかなか与えられず、やっと与えられた我が子を捧げよと命じられた。その時のアブラハムの苦しみは同情するが、実はその時、主も苦しんでおられた。
  • ヨブは全財産と10人の子どもたち皆を失った。さらに失意の中で心をかきむしられるような冷たい言葉を浴びせられた。実はその時、主も苦しんでおられた。
  • イスラエルはエジプトで奴隷され苦役と理不尽な扱いに苦しんだが、実はその時、主も苦しんでおられた。
  • だからこそ、主は御使いを送り、御声をかけ、彼らを助け救った。そうした事例はまだまだたくさんあり、それは、もう歩けない者を背負ってくださるようだとイザヤは表現する。(46:3-4も参照)

3.主の愛に応えず逆らう者の敵となられる主

  • そこまで主に愛されているにもかかわらず、イスラエルは素直に従わずに逆らった。世界の造り主である主にではなく、他の神々を拝み、慕った。
  • 主を礼拝しつつ偶像も慕う姿を、主は「姦淫」とみなす。
  • それでも、悔い改めることを期待して、主は敵となり、戦ってくださる。もはや期待できないときには、ノアの洪水のように、完全に裁き滅ぼす。まだ敵となって苦しめてくださったいる間は、悔い改めて赦されるチャンスがある。

4.複雑な主の思い

  • 愛する者に逆らわれるのはつらい。つらいけれども、悔い改めと回復を期待しているので、厳しくも扱われる。
    このような複雑な思いがあるからこそ、主は十字架による贖いを決められた。
      今も、主は全人類の歩みを見て、複雑な感情を抱かれる。あまりにも罪深いので裁かなければならないdが、なんとか救ってあげたいと思っておられる。
    イザヤは主のみ思いを知ったので、それを皆に理解させたいと思い、語る。私たちもイザヤのように、主のおこころを理解しよう。