2024年9月8日 主日礼拝

レビ記19章32-37節

國分広士牧師

本日は敬老礼拝。「敬老」の意味を聖書から学ぶ。年寄りを大切にすることは聖書によらなくても直感的に大切に感じるだろう。しかし直感は「私はこう思う」という人間の考え。それに対して聖書は、「主はこう命令じる」と、神のお考えを教える。神は敬老についてどう教えておられるのか。

1.

32節では、老人を敬うことが、神を恐れることと並記されている。両者には共通した意味があるということ。

  • 老人を敬うことは「父と母を敬え」という十戒の延長。3節にも「それぞれ、自分の母と父を恐れなければならない。」とある。
  • 父と母を敬うのは人間関係の戒めの第一。神を敬うことを実際生活において表すなら、まず第一に父母を敬い、その延長として老人を敬う。さらにその具体的行動が、老人の前で起立すること。これは心の姿勢を表している。尊敬の念を持って接するということ。
  • 神を敬うことと並記されているので、老人を敬わない者は神をも敬わないという印象をうける。

2.

「わたしは主である」と、念をおされている。

  •  この書き方は他の戒めにも同様に示されている。
  • 33-34節「寄留者」は社会的弱者になりやすい。彼らを自分たちと同等の存在として受け入れるように教えた上で、「わたしはあなたがの神、主である」と念を押している。
  • 35-37節、法廷においても売り買いにおいても、誤魔化さず、正確に公平にジャッジするように戒めた上で、「わたしは主である」と、念をおしている。
  • 愛と正義は神のご性質。主に従い主を喜ばせようとするなら、神の望まれる愛と正義を実践することが大切。自分の接する相手を神ご自身と思って接することがふさわしい。

敬老は神を恐れ敬うことの実践。主を喜ばせよう。