2022年2月27日 主日礼拝

レビ記 16章6~10節,20~22節
國分広士牧師

1.アザゼルのやぎ

  • 「アザゼルのやぎ」は、英語 scapegoat(スケープゴート) の語源。スケープゴートは、集団の中の誰かを敵と決めつけ皆で排斥すること。やぎでなく人を追い出すのは聖書の教えではないが、皆の罪を背負わされ捨てられるという形態はキリストの受難と似ている。
  • 「アザゼル」が何かは正確には不明。「除去」という解釈もあり、その場合は罪の除去ということになる。「悪霊」という解釈もあり、「荒野のアザゼルのもとへ」(10)送り出されるやぎは、荒野で悪魔の試みを受けた主イエス(マタイ4章)を連想させられる。

2.罪を背負う

  • 大切なのは、このやぎがイスラエルの会衆の罪を背負っていること。2匹のやぎが用意され、1匹は全焼のいけにえとされる。もう1匹は、祭司がその頭に両手を置いて(21)民の全ての罪を告白し、その上で荒野に放たれる。罪の身代わりのやぎは殺すだけでなく、罪を負い苦しんで生きるというパターンもあった。
  • 不毛の地で苦しんで生きるやぎの姿が、罪を負って生きる苦しみをあらわすのだろう。罪を犯すことがどんな結果になるのかを学ぶために。

3.不毛の地で生きる

  • 家畜であったやぎは、野に放っても人間から離れようとしないだろう。係りの者は、叩いたり石を投げて追い払わなければならない。やぎは羊より野生で生きる力が強い。係の者は「あっちへ行け!」と叫びながら、心の中では「自分で草を見つけられますように」と祈っただろう。
  • それは、アダムとエバがエデンの園から追い出されたことの追体験に思える。人間が罪を犯した時、主はアダムとエバを即座に殺さず、追放して罪を負ったまま生かす道を選ばれた。アダムには「大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。」(創3:17)と言われた。
  • しかし主は、エデンから追放した人間を見捨てたのではない。追放前に皮の衣を与え(創3:21)、エデンの外で生きられるよう配慮した。エバは産みの苦しみを味わったが、「私は主によって一人の男子を得た」(創4:1)と言い、追放されても主の祝福を受けていると考え感謝した。
  • 私たちも自分の罪を負ったまま、霊的には不毛のこの地で生かされている。主は私たちが厳しい人生を生きることで、罪の結果を学び、神に救いを求めることを期待しておられるのだ。