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2021年10月10日 主日礼拝
1.終わりの日の備え
- 4節で弟子たちが主イエスに「終わりの日のしるしは?」と尋ねたことに対して、主イエスが語られた教えが13章に記されている。この記事はマタイ24章とルカ21章にも詳しく書かれている。マルコ福音書を読んだ上で書いたマタイとルカがそれぞれ詳しく書くほど重要な教えだと理解できる。
- 主イエスは「人に惑わされないように気をつけなさい(5)」と言われた。弟子たちが重要と考えたのは、私たちが惑わされやすいから。信仰の問題はここにある。どう考えるかしだいで、物事の見え方が変わる。惑わされれば神や主イエスに対する信仰も変質してしまう危険性がある。
2.終わりの日の予兆
- 終わりの日が近づくと様々な予兆が起きる。しかしそれは予兆であって、終わりの日ではない。主は「産みの苦しみの始まり(8)」と言われた。陣痛が起きてもすぐ出産とは限らない。しかしサインであることは確か。
- 予兆の第一は、にせキリストが大勢現れる(6)。現代にもすでに大勢現れている。第二は戦争や戦争のうわさ。これも現代に起きている。また民族対立、地震、飢饉。これらはみな、すでに起きている。終わりの日が近づいていることをわきまえなければいけない。
3. 迫害における証し
- 終わりの日が近づくときに、キリスト者が公の支配者から迫害を受けることも予告される(9)。主イエスはそうやって支配者たちに証しすると予告された。無意味な苦しみではなく、主の計画なのである。ローマ帝国におけるキリスト者への迫害は、すぐにも終わりの日がくることを予感させたが、結局、ローマ帝国は、コンスタンチヌスの時にキリスト教を受け入れ、国教とした。これを勝利と評価する見方もあるが、形骸化という苦難の始まりと見ることもできる。あくまで予兆なので、まだ終わりではないのだから、評価を定めることはできない。
- 迫害は現代にもある。北朝鮮では多くのキリスト者が殺されている。にもかかわらず、コロナ前まで、多くの聖書が北朝鮮に輸出された。証しは続いている。
4. 証しにおける励まし
- いざ自分が主イエスに対する信仰について問われたら? 主イエスは「前もって心配するのはやめなさい」と言われた。なぜなら、「話すのは聖霊」だから。
- 聖霊は話す時にことばを与える。前もって学んでおくこと自体には意義があるが、前もって準備したことばは、自分の言葉であり、聖霊のことばではない。
- ルカ21:13-15にはこうある。「それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。ですから、どう弁明するかは、あらかじめ考えない、と心に決めておきなさい。あなたがたに反対するどんな人も、対抗したり反論したりできないことばと知恵を、わたしが与えるからです。」
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