2020年11月8日 主日礼拝

創世記 46章28節~30節
國分広士牧師

1.「十分だ」(45:28)

  • イスラエル(ヤコブ)はヨセフとエジプトで再会できると知り「十分だ」と喜んだ。それまでどんなに悲しく辛かったとしても、再会の希望はそれを忘れさせ、元気が出て、前に進もうという意欲もわく。

2.神の語りかけ(46:1-4)

  • エジプトに向かう途上、ヤコブは主にいけにえを献げて礼拝した。エジプトは祖父アブラハム以来、約束の地から引き離す誘惑として因縁の地だったので、不安があったようだ。神は夜の幻の中で彼を励まし、エジプトで埋没はせず、また約束の地に戻すと約束された。
  • ヤコブは全家族で移住した。(46:5-27) ヤコブは生涯で三度の大きな移住をした。最初は兄の怒りを逃れるためにハランに行ったが、その途上で天地にかかる梯子を上り下りする見使いの夢を見、主の約束のことばを聞いた。(28:13-15)
  • 二度目の移住はハランで得た家族を伴い、カナンに帰還した。この時も神の使いたちを見たり(32:1)、ヤボクの渡しでの神と格闘し(32:22-30)、カナンに着いてから約束の確認の言葉をいただいた(35:9-12)。
  • そして今回が三度目の移住で、やはり神のおことばをいただいた。移住のたびに神のことばを受けたことは、どこに行っても神はともにおられ、神の計画の中で生かされていることを示している。

3.ヨセフとの再会(46:28-30)

  • エジプトでもゴシェンの地はカナン寄りの地で、家畜を飼うのに適していた。ヨセフはその地が家族が住むのに良い地と思い、そこで落ち合うことにした。後にファラオの許しを正式に得る。
  • ヨセフは父に抱きつき泣いた。何度目の涙か。ヤコブも「もう死んでも良い」と言うほどの充足感を得た。親にとって、子の元気な顔を見られることは真の喜び。それまでの悲しみは、この喜びを得るための準備であったとさえ思える。
  • 主イエス・キリストを信じている私たちも、やがて天の御国で父なる神にお会いする。その感激の時、もう他には何もいらないと感じることだろう。