2020年7月26日 主日礼拝

ヨハネの手紙第一 1章5~10節
國分広士牧師

1.神は光。

  • 私たち人間は、みんな罪深い。しかし、神は聖い。これは罪深い人間が悟りうることではなく、神のひとり子であるキリスト・イエスが教えてくださった。
  • 神の聖さを知らないと、ばれなければいいと思い、神に従っていると言いながら罪にとどまるという矛盾した生き方をしてしまう。神には暗いところがないので、隠れたところも全てご存知。
  • 町中に監視カメラを設置して監視すれば悪いことはできなくなるのか。いや、監視している人間が罪深ければ、正義のためではなく自分の都合のために監視情報を利用するので、問題は深まる。神は全て見ておられるが、聖い方なので、私たちの秘密を利用するのでなく、きよめたいと思われる。

2.御子イエスの血がきよめる

  • 人間は、みんな罪深い。お互い様なので、相手を受け入れようとする。しかし神は聖いので、お互い様という考え方は通用しない。
  • 神が人間を赦すためには「あがない」が必要。罪のない方が、身代わりになって罪の罰を受けることで、罪があがなわれ赦される。
  • すでにイエス様が十字架で死なれ、その血によって私たちのあがないのわざが行われた。私たちに必要なのは、自分の罪を告白することだけ。

3.罪を告白するなら

  • 自分が罪人であることを認めないということは、「罪がない」と言うこと。残念ながら、多くの人が、自分は人並みかそれ以上だと思い、罪を認めない。
  • あがないのわざはすでに神が行われたが、罪を犯した本人が認めないなら、その人にとっては、あがないは無意味。罪を告白するか否かは、決定的な違いを生む。
  • 自分の罪を正直に告白するとき、心には平安が与えられる。勇気を出して神に罪を告白しよう。