2020年1月26日 主日礼拝

ヨハネの福音書 14章1節~6節
國分広士牧師

1.

ヨハネの福音書13-17章は、イエス様の受難(逮捕・裁判・十字架)の直前の出来事(洗足・晩餐・教え・祈り)が詳しく記されている。その教えの中で多くの有名な主のみことばが語られたが、14:6は特に有名な一節。

  • 「わたし」と主イエスはご自分の存在を強調された。神とご自分を等しいものと語られ、ご自分が神であり、救い主であることを明言された。

2.

「心を騒がせ」るような出来事が周囲に満ちていた。イエス様を逮捕し殺そうという企みが、その時同時に進行していた。弟子たちはそこまで深刻には思っていなかったが、うすうす危険は察知していた。

  • 今の時代も心を騒がせる出来事がたくさんある。メデュアは危険情報をいち早く知らせることに懸命だが、解決の道は示せない。イエス様が心を騒がせるなと命じることができたのは、ご自分という救いの道を示せたから。

3.

「 父の家」とは「天国」、もしくは「新天新地」を意味している。多くの表現があるのは、行かなければわからない世界をイメージさせるには、一つの表現だけでは足りないからだろう。「父の家」という表現には、優しさや懐かしさがあり、行ってみたくなる。父の家に私たちの場所も用意してくださるとは、なんと感謝なことか。

4.

トマスはイエス様の話が理解できず質問した。彼の率直な質問が有名な6節を引き出した。主はすべてのものをご自分の目的のために造られた。箴16:4トマスが主イエスに疑問をぶつけられたのは幸いだった。

5.

イエス様が道・真理・いのち。これは「救い」を表す表現。「救い」も、ひとつのことばだけでは表しきれないので、いくつものことばで表現される。

  • もしも「道」だけを言えば、道徳的な問題と思うかもしれない。「真理」だけを言えば、抽象的な概念として悟ればいいと(仏教のように)勘違いするかもしれない。「いのち」だけを言えば、犠牲や奇跡を求めるかもしれない。しかし、事実はそれら全て。主イエスは救いの全て。

6.

「でなければ」とは、他の可能性を否定する。ノアの箱舟を思い出そう。他に救いの道はなかった。箱舟に入らなかった者は滅ぼされた。

  • 陶器師は、焼きあがっても気に入らないものは砕く。自分の作ったものだから。神は造り主なので、ある者は救い、ある者は滅ぼす。
  • 他にも救われようとする人々の努力はたくさんある。しかし、私たちの罪の身代わりとなって、自分の命で償ってくださったのは、イエス様だけ。いのちを与えることができるのは、造り主だけ。造り主が救ってくださる以外に、救いの道はないのだ。
  • イエス様が唯一の救い主だと知った者は、この方に頼ろう。そして父の家に招かれ住まう者にさせていただこう。