2019年2月3日 主日礼拝

申命記 6章1~9節
國分広士牧師

1.主を恐れて(2)、聞け(4)

  • みことばを聞く理由は、「主への恐れ」にある。自分より偉大で従うべき方のことばだとわきまえなければ、謙虚には聞けない。
  • イスラエルは出エジプトの経験によって主を恐れることを学んだ。私たちも彼らの経験を共有することによって主を恐れよう。
  • 「聞け」は命令。「聞いたらいいですよ」といった勧めよりも、はるかに強調された言い方。聞かない者は滅びるという警告。
  • 「信教の自由」を大切に思う時代に生きる者には、信仰が強制されるのは脅しのように聞こえるだろう。しかし、聖書は救いの道はただ一つだと教えているので、聞かない者は滅びるという警告は必然。

2.主は唯一(4)

  • 主なる神は唯一。多神教の神と唯一神教の神は根本的に異なる。
  • 唯一神教はいずれも聖書に由来し、世界の創造主を神とする。世界の創造主でなければ、真の神ではない。
  • たとえ良い教えがあっても、造り主の教えとは異なる。機械に例えるならメーカーの取扱説明書にあたるのが聖書。取説を無視した「ノウハウ本」があったとして、それに従って故障しても誰も保証してくれない。
  • 自分の造り主を愛するのは、子が親を愛するようなもの。親子の健全な関係が決定的に人格に影響するように、主を愛することなしには、人間の真の幸いはない。    

3.心にとどめ(6)、子どもたちによく教え込みなさい(7)   

  • 自分が信じるという段階に達したなら、次は人に信じさせる段階。まず自分が「心にとどめ」、すなわち本気で信じなければ、本気で伝えることはできない。人には言う気になれないという人は、まだ心にとどまっていない、すなわちまだ本気では信じていないのかもしれない。
  • 教えるべき第一の対象は、「あなたのこどもたち」。親として、こどもの人生には責任がある。彼らにとって最も大切なことを「これだけは覚えておきなさい」と、教えなければならない。
  • こどもは記憶力が優れている。繰りかえしみことばを教え身につけさせれば、あとでその言葉を思い出し、自分自身の判断でそれを選び取ることができる機会が得られる。