2015年6月21日 主日礼拝

創世記 24章50~67節
國分広士牧師

1.主人の兄弟の家に

しもべは、リベカがらくだに水を飲ませ終わるまで黙って見つめ、それからお礼の品を渡した。重い労働ではあったが、謝礼としては高価すぎる(70万円以上に相当)。驚く彼女に家族を尋ねると、主人の親類であることがわかり、しもべは主人に対して恵み深くあられ、自分を正しい道に導かれた主に感謝した。

2.祈りを聞かれた主

リベカに出会う前、しもべは声に出して祈ったのではなく、心の中で祈っていた(45)。リベカは彼の祈りを聞いて期待に答えようとしたのではない。しかも、主人の願い通りに、親類の娘に出会え、その娘が主人の息子の嫁にふさわしい人物であり、あまりにも願い通り。だからこそ、祈りの答えなのだとしもべは確信した。さらに宿泊できるかを尋ねると、快く家に迎えられ、歓迎される。神のみこころが行われるときには、不思議と好都合に事が進み、実現へと導かれる。

3.右か左か

しもべは彼女の父と兄に、事情を説明し、リベカをイサクの嫁にと申し込む。その返事次第で、家に戻るか、さらに探しに行くかが決まる。しもべは神のみ旨だと信じているが、他の人が同じように思うかどうかは相手次第。単に結婚の話をまとめるために説得するだけなら、祈りの話はしなくても済む。全てを話したのは、主の導きだと信じる信仰を理解してほしいから。縁談がまとまればよいのではなく、すべてを導く主の名が称えられるために。