2013年1月6日 主日礼拝
1.何一つとれなかった
シモンは漁師だったが、昨晩は何もとれなかった。しかし、人生の営みが順調な時には、人はむしろ自分のことに集中して主のことばに注目しにくい。喪失感は、自分に期待するのではなく主に期待させ、主のことばに聞き従うための備えなのであった。
2.深みに漕ぎ出せ
主イエスはシモンに、再び深みに漕ぎ出して魚をとれと命じた。数時間前にあきらめて引き上げたばかりの漁場にまた行っても、同じではないのか?ところが、同じではない。先ほどとは全く状況が違う。今度は主がともにおられ、主のご命令で網を下ろすのだから。同じ行為でも、主のみこころによって行うか否かは決定的な違いなのだ。
3.おことばどおりに
シモンは主イエスに権威を感じ、そのことばに従った。彼は魚は期待していなかったかもしれないが、少なくとも従う姿勢で主を満足させられるとは思った。ところが、期待を超えてすばらしい結果が与えられた。自分一人で歩むのと、主と共に歩むとの違いがここで明確に示された。ご自分に従う者を祝福したいと願い、主は従うことを命じられるのである。