2023年11月19日 主日礼拝

イザヤ書30章18-22節
國分広士牧師

1.それゆえ

  • 「それゆえ」とは? 15節で主を信頼すれば救われると教えられているが、イスラエルはこれを望まなかった。16-17節では、自力で逃げようとするが困窮することが記されている。
  • ということは、「それゆえ」は「自らの愚かさで困り果てているゆえ」ということになる。 
  • 主は愚かな者をあわれみ、立ち上がる。
  • 主は恵みを与える時を待つ。どういうタイミングを待っているのか?
  • 18節の「主を待ち望むすべての者は」、19節の「泣く」「叫び声」といった言葉に注目。
  • 困り果てて泣き、主に叫び、自分の力に頼らずに主の助けを待ち望む姿が見える。
  • 自分の罪を認め、へりくだって主にすがるようになる時を主は待ち、立ち上がろうとされている。
  •  

2.あなたを教える方

  • どういう恵みが与えられるのか?20節には「苦しみのパンと虐げの水を与えても」とある。そんなものが恵みなのか?いや、そうした逆境の中であっても、「あなたを教える方」を見続け、その教えを聞き続けることこそが恵み。
  • 人生は選択の連続。右か左か迷うことが多い。そのときに「これが道だ。これに歩め。」と教えてくださる方がいる。私たちが聖書を学ぶ意義がここにある。迷う事柄こそ、正しい選択ができるよう、主のみこころを求めてみことばを学ぼう。

3.何を真理と考えるのか

  • 「あなたを教える方」を見続け、その教えを聞き続ける者は、偶像を汚れたものと見なし捨てる。
  • その偶像は、捨てる前は大切にしていた。しかし、「これが道だ。これに歩め。」と、正しい道を教えてはくれない。偶像には「いのち」も「知恵」も「愛」もない。
  • 私たちを教える主とともにいるなら、死の陰の谷を歩くとしても恐れない。
  • 主にある者の幸いを告白している詩を紹介する。

   大事をなそうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに
     慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった
   より偉大なことができるように 健康を求めたのに
     よりよきことができるようにと 病弱を与えられた
   幸せになろうとして 富を求めたのに
     賢明であるようにと 貧困を授かった
   世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに
     神の前にひざまづくようにと 弱さを授かった
   人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
     あらゆることを喜べるようにと 生命を授かった
   求めたものは一つとして与えられなかったが 
     願いはすべて聞き届けられた
   神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
     心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
   私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
     (ニューヨーク・リハビリテーションセンターの壁に書かれている詩)