2025年11月16日 主日礼拝

序
- 主を賛美して歌えと呼びかけられている。なぜなら主は大いなる方だから。
- 主の偉大さを語るキーワードから、主が大いなる方であることを学ぼう。
1.「御救いの良い知らせ」(2)
- 主は私たちを救ってくださる。私たちは滅びに向かいつつある罪人であり、救いを必要としている。「昔は良かった」という感想は、良い思い出だけを集めたアルバムのようなもの。昔の人々も悩み苦しみ、その解決を模索し続けた結果が現代。
- どの時代の人々も救いを求めている。主は全ての時代の全ての人を救う方。その救いの方法について聖書から学ぶことができるが、わからない部分もあることはわきまえよう。(申命記29:29)
- 「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。」
- 「実はこうだった」といったセンセーショナルなことばを聞くことがあるが、「隠されたこと」を追求し、現されたことに注目しなくなるのはサタンの罠。
- 明確に教えられているのは、罪の救い主イエス・キリスト。私たちのすべての罪を主イエスが贖うために十字架で死なれ、三日目に復活された。主イエスを信じる全ての者の罪を赦し、神の子とし、「永遠のいのち」を与えるために。これこそが「御救いの良い知らせ」。
2.「主は天をお造りになった」(5)
- 世にはキリストではない誤った救いの教えがたくさんある。「どの民の神々もみな偽りだ」と表現されている。これは挑戦的。他の宗教には真実はないのか?クリスチャンでない人のほうが多いのだから、「みんな間違っている」と叫ぶのは言い過ぎではないのか…
- お互い様の人間同士の立場で考えれば、誰にも信条の自由があるので、他の人の信仰にケチをつける資格は私たちにはない。しかし、私たちを造った「造り主」は同じ立場ではない。
- 人間が作った思想ではなく、主のことばである聖書が、神々を否定し、天をお造りになった主だけを崇めるよう教える。人間ができるのは地上のことだけ。しかもその地上でさえ、上手く支配できず、常に混乱に満ちている。しかし天を見れば、整然とした天体の運行を観察できる。
- どの神々が天を造ったのか? 主おひとりが天と地をお造りになったことを忘れてはならない。主は造り主なので、造り直すこともできる。真の救いを与えることができるのは造り主だけ。
- 他の宗教にも良い面があるかもしれないが、人の作り上げたものにすぎない。
3.「主は必ず来られる。地をさばくために来られる。」(13)
- 主は世を放置しているのではない。いつまでもこの世が続くのではない。人間の自滅によって世が滅びるという悲観的予測も、聖書の教えではない。
- 世のさばきの前に困難な時代が来ることは、主イエスご自身が預言(マタイ24章)されているが、真に大切なのは、困難の先に主の再臨があり、再臨の主が世をさばくこと。
- 黙示録19:11-16には、やがて来るさばき主の姿が預言されている。(以下抜粋)
- また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。…この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この方である。…その衣と、もものところには、「王の王、主の主」という名が記されていた。
- このさばきの後に、新天新地が造られる。(黙示録21:1-5抜粋)
- また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。…
- 神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。…
- 御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」
結
私たちを造った主が、私たちを救い、最後に世をさばき、全てを新しくされる。これが本当の望み。私たち自身も新しくしていただく望みがあるからこそ、悩み多き世にあっても、主が喜ばれる道を進もうと、勇気をもって歩むことができる。主は大いなる方。心から主をたたえよう。

