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2025年10月19日 主日礼拝
序
- 拉致や戦争など、心が揺さぶられる問題が絶えない。「事実は?」「なぜこんなことに?」という疑問がたくさんわいてくる。人の力では真の解決は望めない。主だけが真に正しく全てをさばき、真の平和を与えてくださる。主の正しいさばきを求めよう。
1.復讐の神
- ※このテーマで思い起こすいくつかの聖書箇所をあげる
- <申命記32:35>復讐と報復はわたしのもの。
- ※「わたし」は主。復讐と報復は人間ではなく主のものだということ。
- <マタイ7:1-2> さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。
- ※イエスさまのことば。「さばきぬし」は父なる神。父はすべてをご存じなので、うっかり人をさばいてしまうと、その越権行為もとがめられる。
- <ローマ12:19> 愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。
- ※「神の怒り」とは義憤。私たちも自分の怒りが義憤だと思い、当然の報復と思いやすい。しかし、実際は身勝手な怒りかもしれない。私たちに問われるのは神を信じて「ゆだねる」かどうか。
2.「主は見ることはない」→「目を造った方が見ないだろうか」
- 私たちは気になる問題が解決しないことに苛立ちやすい。不信に陥いることもある。
- <ペテロ第二3:3-7>まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
- 聖書は一貫して、神のさばきと救いを教えている。ノアの洪水でさばきの実例を示されたが、それは究極的なさばきがあることを、わきまえさせるための、経験だった。
- ならば、最後のさばきまでは、神は何もしないのか? →<v13-14> 「わざわいの日にあなたはその人に平安を与えられます。しかし悪しき者のためには穴が掘られます。まことに主はご自分の民を見放さずご自分のゆずりの民をお見捨てになりません。」
3.私の神は私の避け所
- 「破滅をもたらす法廷」「おきてに従いながら邪悪なことを謀る者ども」といった表現は生々しい。人の世には正義を装う悪がはびこる。私たちは何を信じたら良いのか混乱させられている。
- →16「だれが私のために悪を行う者に向かって立ち上がるでしょうか。だれが私のために不法を行う者に向かって堅く立つでしょうか。」
- 私たち自身の罪は、救い主が贖ってくださる。主イエスを信じて贖っていただこう。
4.主よ いつまでですか
- <ペテロ第二3:9>主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
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