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2025年2月23日 主日礼拝
序
- 宗教改革で有名なマルチン・ルターは、ヨハネ3:16を「小さな聖書」と呼んだ。聖書の主要な教えが凝縮されているということ。このことばをよく理解して信じてほしい。
1.神は世を愛された
- 聖書の神は世の造り主。私たちを創造した方がおられる。それは無意思のエネルギーではなく、知恵と力に満ちたお方。
- 神はご自分が造った世を愛しておられる。この世界は神が愛情をこめて造ったので、実に丁寧に見事にできている。宇宙を観察すると、その見事さに息を呑む。さらに地球に、特に生命に注目すると、その構造や仕組みの見事さに驚嘆する。
- その見事さを偶然の産物と言うことも理論的には可能。しかし偶然なら私たちを守る愛など期待はできない。無神論は自己中心に陥りやすい。
- 神は私たちにとっては親。なので私たちは神を「天のお父さま」と呼ぶ。父が子を愛するように神は世を愛しておられる。
- 神が愛してくださっているからこそ、神に救いを求めることができる。
- もしも神が世に無関心で、滅んでも気にしないならば、救いを求める事はできない。
2.ひとり子を与えるほど愛された
- 人間の愛には限界があるので、愛情を注ぐにも限度がある。しかし神は全知全能の無限のお方なので、その愛も絶大。
- 神はご自分に似せて造った人間をエデンの園に住ませ、一つだけ食べてはいけない木の実として「善悪の知識の木」を定めた。それを食べるのは神への反逆。なのに人間は蛇の誘惑に屈して食べてしまい、神の裁きを受けなければならなくなった。
- しかし神は人を滅ぼしたくないので、裁きを代わりに受ける存在として、御子イエスを人間として世に生まれさせた。イエス様は人間の罰を代わりに受けるために、十字架刑になった。これが「ひとり子をお与えになった」ということ。
3.神は愛する者に永遠のいのちを持たせてくださる
- 神は永遠のお方なので、自分の愛する者にも永遠のいのちを持たせたい。
- イエス様を、私たちの罰を身代わりに受けた神の御子だと信じる人は、滅びないで、永遠のいのちを持つことができる。
- 和たちはに必要なのは正しい信仰。正しい信仰とは、信じるべきお方は造り主だと認め、造り主は私たちを救うために主イエスを十字架にかけたことを信じ、自分の罪を告白して神に赦しを願うのことから始まる。
結
- 聖書の最も大切な教えは単純でわかりやすい。こどもでも理解できる。
- しかし理解したことを信じるかどうかは別の問題。理解しても信じない人が多い。
- 信じない理由はいろいろあるが、最も大きいのは、自分の罪を認められないこと。人類の先祖のアダムとエバのように、ごまかしたり責任転嫁したりしやすい。
- どんなに信じない理由を並べても、それでは永遠のいのちを持つことはできないことをわきまえよう。永遠のいのちは主イエスによる。
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