2023年10月1日 主日礼拝

イザヤ書26:1-10
國分広士牧師

1.正しい人

 - この箇所で言う正しい人とはどういう人なのか?
  2節「忠誠を尽くす正しい民」
  3節「志の堅固な者」
  4節「いつまでも主に信頼せよ」
 - こうしたことばからは、主を信じ、従い続ける姿が思い浮かぶ。
  都合の良い時だけ従い、都合が悪いと従わない態度とは異なる。

2.悪しき者

 - 10節  三つの問題点
   ①恵みを受けても義を学ばない
    →恵みは同じように受けている。
     そこから義を学ぶかどうかは、恵みを受けた者の課題。
   ②公正の地でも不正を行う
    →汚れた場所はよけいに汚されやすい。
     しかし、綺麗な場所を綺麗に保つかどうかは、そこにいる者の課題    
   ③主の威光を見ようとしない
    →主の光に心を照らされるのは、痛いツボを押されるような苦痛。
     その痛みを恐れて主に心を向けないので、罪が解決されない。
  ※自分の内にある「悪しき者」を主に告白しよう。

3.主の御名は「たましいの望み」

 - 7節「あなたは…道をならし、平らにされます」
  →正しい者の道が平らなのは、主が道をならしてくださるから。
   そのためには石などの邪魔を除かなければならない。
   罪を告白し、主の十字架であがなっていただき、道が整えられる。
 - 8節「あなたのさばきの道で あなたを待ち望みます。」
  9節「私のたましいは、夜にあなたを慕います。」
  →ひとりで静かに自分の歩みを振り返ると後悔が多い。自分の思い描いていたように事が進まなかったのは、自分のせいだったと。そういう時にこそ、主に心を向けよう。自分では自分の過ちを帳消にできないが、主は全てを益とされる。

ローマ8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。