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2022年9月18日 主日礼拝
1.死後の世界のお話し
- このストーリーは実話とも作り話と見ることもできる。死後の世界の状況までリアルに考えすぎないよう節度を持って語っているのだと思われる。
- 生前、豪華に暮らした金持ちと、貧しいまま死んだラザロが、死後に立場が逆転しているというのが、大切なポイント。現生での幸福や不幸は必ず終わりを迎える。しかし「永遠のいのち」と「永遠の滅び」は、終わることがない。しかも人は死後に必ずそのどちらかに振り分けられる。生前にどんな人生だったのかは決定的な差ではない。死後に天国は地獄かどちらに行くのかが決定的な差なのだ。
2.金持ちの嘆きと後悔
- 金持ちは生前、自分の門前にいた貧しいラザロを知っていたが、助けはしなかった。ラザロは金持ちのおこぼれが欲しかったが、やってくるのは犬だけだった。
- ラザロは死んで、御使い(天使)によって、アブラハムのふところに連れていかれる。アブラハムはユダヤ人の最も尊敬する先祖。クリスチャンにとっても「信仰の父」。アブラハムのいるところなら天国。「懐」はアブラハムに抱かれているという表現。ラザロは死後に慰められている。
- 金持ちは死後に「よみ」で苦しむ。なぜか彼は天にいるアブラハムとラザロを見ることができ、会話もできる。こうした状況設定は非現実に思われるが、架空のドラマを見ても学ぶことは多い。「もしも、よみにいる人が、天国にいる人と会話できたら」というドラマと思って学ぶこともできる。
- 金持ちは先祖アブラハムを「父」と呼び、哀れみを求める。しかしラザロの派遣を願うところに、ラザロを尊敬せず自分の目下に見る傲慢さを感じる。アブラハムは金持ちの願いを拒む。理由は「正しい報い」だし「実行不可能」だから。
- 金持ちは食い下がり、生きている自分の兄弟たちに警告を与えて欲しいと願う。彼は家族は救われて欲しいと思っている。アブラハムは警告はすでに聖書によって与えられているとこの願いも拒む。
- 金持ちはさらに食い下がり、聖書の教えを聞かない者も、死者が生き返れば聞くと訴える。苦しみの場に誰も来てはいけないと伝えて欲しいと。しかしアブラハムは聖書の教えを聞かない者は、死者が生き返っても聞かないとこれも拒む。実は生き返った例はすでに聖書に記されているが聖書を学ばないから、せっかくの訴えも耳に届かない。主イエスは死後三日目によみがえったが、アテネの人々は死者の復活を信じなかった。(使徒17:32)
3.先祖の真の願い
- 天国に行った先祖は、子孫が天国に来るように願っている。
- 地獄に行った先祖は、子孫が天国に行くように願っている。
- 神も私たちを天国に入れたいと思っている。そのために救い主イエス・キリストを与え、救いの教えを聖書で伝えてくださっている。その教えを学び、信じよう。
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