コンテンツへスキップ
ナビゲーションに移動
2022年2月13日 主日礼拝
1.ツァラアト
- 当初の日本語訳では「らい病」と訳されていたが、ハンセン病とは異なる面があるので、訳語の再検討がなされた。新共同訳聖書は「重い皮膚病」物では「かび」と訳したが、それでは同じ言葉なのか不明になり、文脈がわからなくなる。新改訳は三版からヘブル語の音訳でツァラアトとした。これは意味がわからないと言う問題を残す。聖書協会共同訳は「規定の病」と訳した。他に同種の規定があるわけではないので唐突な印象を受ける。
- 何が適訳かはまだ決着がつかないが、真に問題なのは人間の「汚れ」。物も汚れるので、同じ問題として扱われている。
- この「汚れ」は、単なる病とは異なる。「伝染」というのは近代医学からの現代的な解釈。汚れたものにふれれば汚れる。ただし、他の汚れは時間の経過できよくなるが、ツァラアトは時間が経過してもきよくならない。
2.「汚れている」という告白
- ツァラアトだと宣告された者は、他の人への配慮として、衣服や髪をわざと乱し、「汚れている、汚れている」と叫ぶように命じられている。この命令に従うことは、大きな自己犠牲を伴う。他の人を汚さないようにする配慮として、あえて自分に近づかないように警告するのである。この命令に従える人は真面目。
- この自己犠牲の姿には、主イエスの受難を感じる。主イエスも全ての人の罪を負い、あえて自分が見捨てられる道を選ばれた。
3.ツァラアトからの回復
- 回復の見込みがないなら悲惨。しかし律法はきよくなる可能性を残す。(14章)
- 主イエスはツァラアトにおかされた人にさわり「わたしの心だ。きよくなれ」と言われてきよめられた。真の回復は神から与えられる。
- 主イエスはまた、「人の中から出て来るものが、人を汚すのです。」マルコ7:15と言われた。私たちはツァラアトのような汚れを内に秘めている。「わたしは汚れている」と罪を告白し、主にきよめていただこう。
PAGE TOP