2013年8月11日 主日礼拝
1.主イエスの祈りを見て
主イエスはよく寂しい所で祈られたが、その祈りの姿を弟子たちには見せることがあった。おそらく弟子達に祈りを教えようとされたのだろう。祈りの模範を見て「主のように祈りたい」と思う事が、祈りを身につけて行く上で決定的に重要なのだ。私たちの祈りも、そう意図しなくても、後に続く者の模範である。良き模範となる事を願おう。
2.弟子の求め
バプテスマのヨハネが教えた祈りは好感を与えていたようだ。すばらしい祈りをされる主イエスに祈りの教えを請うのは自然な思いだった。しかし願いを持つのは自然でも、願いを口にしないこともある。求めのことばには祈りを実践しようという覚悟も感じる。あこがれだけでなく、実際に時間をとり、祈りに集中できる場所を定め、本気で祈ろう。
3.祈る時にはこう言いなさい
主の祈りはマタイ6:9-13のほうが一般的。ルカの「主の祈り」は弟子のための祈りとも言えよう。「父よ。」という祈り始めはことばは簡潔で直接的。父への愛と信頼を感じる。神を父と呼び、愛し慕い信頼することが、祈りの動機でなければならないのだ。だからこそ続く願いのことばは父の栄光を求めることになる。その上で、自分の必要を率直に語り求める事で、より父との親密感が深まる。こういう祈りが模範となるのだ。