2014年12月28日 主日礼拝
1.「主」とは
なぜ「主を恐れる」ことが知識の初めなのか? そもそも「主」とはどういう方なのか? 創世記1:1には主が全世界の創造者であると記されている。申命記6:4には、主が唯一の神であることが記されている。ルカ1:37には神が全能者であることが記されている。レビ11:44には聖なる方だと記されている。そしてⅠヨハネ4:7には愛だと記されている。真に恐れ多い方が主なのだ。この方こそが、全ての基準なのである。
2.愚か者
愚か者は自分は正しいと思う(箴言12:15)。だから知恵と訓戒を聞いても、自分のほうが正しいと感じてしまう。自分より正しい方、強い方、聖い方、知恵ある方、愛のある方を知らないと、自分が一番だと思うしかないのだ。自分の罪や、愛のなさを指摘されても、お互い様だと開き直ってしまうのだ。
3.父母の教え
人は幼少期に父母のゆるしを得、父母に受け入れられている時、安心して生きる事ができることを学ぶ。幼子に取って親は神のような存在なのであり、人は神を必要としていることを子は学ぶ。人間の親は不完全だが、神は完全でどこまでも絶対的に信頼できる。絶対的に信頼できる方を必要としていることを自覚し、主を恐れ従うことを決意しよう。