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2019年6月30日 主日礼拝
1 人格者としての聖霊
- 主イエスは聖霊を「助け主」と呼び、人格を持つ方であることを教えた。
この方は主イエスの願いで父が私たちに与えてくださる。 - 世、すなわち人間は、自分の知恵では聖霊を知ることができない。聖霊の人格性や三位一体を認めない立場は、人間の知恵だけで理解しようとしている。26節にあるように、聖霊は主イエスの名によって父がお遣わしになる。主イエスを信じる信仰がないと、聖霊はわからない。
2 助け主は私たちのうちにおられる
- 17節には「この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられる」とあるが、これはコリント第一12:3を思い起こさせる言葉。
- さらにコリント人への手紙 第一 6:19には「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、」とある。
- 主イエスを救い主と告白する者の心には、聖霊がおられる。これは神との親しい交わりの実現。その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいる(20)
- 天における神との親しい交わりを、地上で経験し始めるのが聖霊の内住。
3 助け主は教え、学んだことを思い起こさせてくださる
- 聖霊は、私たちを教え、また学んだことを思い出させてくださる。
「聖書はよくわからない」「学んでもすぐ忘れてしまう」と悩む者は、聖霊の助けを求めよう。 - 私たちは知恵が足りないし、記憶もあやふや。しかし、本当に必要なことは、教えていただけるし、思い出させてもいただける。
- 主イエスを信じる者のうちに聖霊がおられるのだから、主イエスを愛そう。
「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(23)
という約束を、体験させていただこう。
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