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2020年6月14日 主日礼拝
1.主は私の救い
- 詩篇作者ダビデは、いのちを狙われる危機を幾度も経験した。
- 彼が「救い」という時、それは正真正銘いのちの問題だった。
- 彼は自分で自分を救ったのではない。主が救ってくださった。
- 敵は主によって倒された。
2.主の麗しさを慕う
- ダビデは主の神殿を建てたいと願い準備を進めた。が、主は彼にそれをさせず、彼の息子ソロモンに建てさせた。しかし父の願いがあってこそ、子が成し遂げたことを忘れてはいけない。
- ダビデが神殿を建てたい理由は「主の麗しさに目を注ぎ その宮で思いを巡らすため」だった。造り主の偉大さを思い、もっと知りたい、もっと味わいたいと願った。
- 私たちも好きな作家やアーチストがいるなら、次にどんな作品を生み出すかワクワクして待ち望み、過去の作品も振り返って楽しむだろう。ダビデは主がなさったみわざを思い起こし、次にどんなことをなさるかを期待していたのだ。
3.待ち望め 主を
- ダビデには敵が多く、非難も受けた。時には見捨てられたようにも思った。その時には自分に言い聞かせた。主は「わたしの顔を慕い求めよ」と言っておられると。人は互いを見捨てることもあるけれど、主は見捨てないと、ダビデは考える(10)。
- 横田兄葬儀で西岡氏は「滋さんは嘘と戦った」と語った。人は事の真相をなかなか知ることができない。だから敵は自分に有利なように事実を歪めて伝える。しかし主は真実を知っておられる。
- 全てを正しく裁く方、ご自分を信じるものを救う方、主を待ち望もう。未来を知らない私たちにとって、何を信じるかは重要な選択。望みを主に置こう。
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