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2020年8月30日 主日礼拝
1.ヤコブとラバンの確執
- ヤコブにとって、ラバンはおじであり、姑。ラバンの二人の娘レアとラケルをめとる花嫁料として14年ラバンに使え、さらに報酬を得るための期間もあわせ、20年間、ラバンのもとで使えた。
- ラバンは結婚においてもヤコブを欺いたが、報酬においても約束を幾度も変更した。ラバンに使えるのはヤコブにとっては厳しかったが、結果は20年で妻たちとこどもたちと、たくさんの家畜の群としもべたちを有する大富豪になった。
- ラバンの願いはヤコブが自分のもと(ハラン)にとどまることだった。しかし、ヤコブは最初からカナンに帰るつもりで寄留していた。
- ヤコブは主の使いにカナンに帰るように言われた。しかし我を通すラバンに話しても無駄に思え、妻たちと相談した。妻たちも父を見限っており、ラバンに告げずにカナンに行こうと出発した。
2.ヤコブの悪意とラケルの罪
- 30:42に、ヤコブが自分の群に有利になるようにしていたことが記されている。ラバンに利用されたヤコブだが、したたかに自分の利益とラバンの不利益をはかっていた。ラバンの息子たちは「ヤコブは父の物をとった」(31:1)と言っていた。
- 31:19には、カナンに行く際に、ラケルが父の所有している偶像のテラフィムを盗み出したことが記されている。彼女がなぜ盗んだのか動機は記されていない。父から偶像を遠ざけようとしたのか、自分自身のお守りとして偶像を持って行きたかったのか。どんな動機であれ、盗みは罪であり、偶像崇拝も罪。この時点ではヤコブはこの罪に気づいていなかったが、聖書に記されているのだから、どこかで事実が判明した。罪は神が覚えておられる。
3.ラバンに対しての神のとりなし
- ラバンは怒って追跡した。怒りの理由の第一は、父である自分を無視した行動である。知らないうちに自分の娘たちや孫たちと別れなければならないのは、肉親として堪え難いのは当然。
- 第二の理由は、自分の偶像が盗まれたこと。彼にとっては大事なものだった。単に物品としての価値だけでなく、宗教的なよりどころだった。
- もう一つの怒りは、31:43に「私の群」とある、自分の財産だと思っていた、たくさんの家畜を失った喪失感である。ヤコブのしたたかさへの恨みもあった。
- 怒るラバンに神は夢で「ヤコブと事の善悪を論じないように」(31:24)と注意した。それでラバンは、手荒なことはしなかった。しかし、偶像だけは取り返そうと探す。ラケルがうまく隠して見つけられなかったが、もしも神のとりなしがなければ、もっと手荒に捜索し、ラケルが隠しても見つかっただろう。
- 神は偶像を守ったのではなく、互いに傷つけ合わないように助けてくださった。善悪の追求は、流血につながりやすい。人間は皆、罪人であり、絶対的な正義の立場に立てる人などいない。ただ神の哀れみで罪の赦しをいただけるところに望みがある。赦された私たちは、相手を赦し、裁きは主にまかせよう。
愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。(ローマ12:19)
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