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礼拝メッセージ(2014年11月)

今月のみことば
彼は主を信じた。 主はそれを彼の義と認められた。 (創世記15:6)



2014年11月30日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 16章1節〜16節
宣教題:「あなたのせいです」
國分牧師

1.サライの女奴隷ハガル

百匹も羊がいたら、そのうちのたった一匹より九十九匹のほうが大切ではないだろうか?論理的にはそう思える。しかし、事実は、羊飼いは一匹を放置できず、九十九匹を残して一匹を捜す。羊飼いは羊を愛するので、山中で助けを求めて泣いている羊を思うと、捜しに行かずにはいられない。

2.あなたのせい

妊娠すると、奴隷だったハガルが自分の女主人を見下げ始めた。妊娠を喜ぶアブラムにちやほやされ舞い上がったのだろう。サライはアブラムに「あなたのせい」と詰め寄る。横柄な人間をへりくだらせる指導は難しい。アブラムは自分では手を出さずにハガルにまかせたが、サライは感情的になっていたので、ついにハガルは逃げ出した。責任をのがれは悲劇を生む。「あなたのせい」と言われたアブラムは、真摯にそれを受け止めるべきだった。

3.身を低くしなさい

仲裁してくれたのは主の使いだった。主はハガルをも励まし、彼女が身を低くして、自分を偉いと考えずに、以前のようにサライをうやまうように諭した。身重の体であり、逃亡奴隷という立場のない彼女にとっても、そうするのが一番良かった。最初からそばめなどやめればよかったし、横柄な奴隷はアブラムが戒めるべきであったが、そんな無責任によって生じた問題を主が仲裁してくださったことに注目しよう。主は罪を背負ってくださるのだ。
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2014年11月23日

國分広士牧師
聖書箇所:マタイの福音書 18章11節〜14節
宣教題:「迷った者を捜す主」
國分牧師

1.九十九匹を山に残して

百匹も羊がいたら、そのうちのたった一匹より九十九匹のほうが大切ではないだろうか?論理的にはそう思える。しかし、事実は、羊飼いは一匹を放置できず、九十九匹を残して一匹を捜す。羊飼いは羊を愛するので、山中で助けを求めて泣いている羊を思うと、捜しに行かずにはいられない。

2.人の子は失われた者を救うために来られた

主はご自分の気持ちを代弁するために羊飼いを例にされた。自分はあの羊飼いが羊を捜しに行くように、この世に来られたのだと言っておられる。気楽に来たのではない。神のみ子が人となるという犠牲を払って来られた。そればかりでなく、ご自分の命を捨てる覚悟で来られ、十字架への道を歩まれた。

3.父なる神は、ひとりも滅びてほしくない

この世は全体を守るために個人に犠牲を強いる。しかし、主は、ひとりを救うためにご自分を犠牲にされる。何と大きな違いだろうか。私たちはこのような救い主を必要としている。自分が「迷っている」「助けが必要だ」と感じる者は、主に叫ぼう。主も、あなたを捜しておられる。
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2014年11月16日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 15章1節〜21節
宣教題:「信仰義認」
國分牧師

1.主を信じる

まだ一人もいない子孫が、星のようにというのは夢のような話。しかし造り主にはできる。また主は裏切らない。アブラムが信じがたいことを信じることができたのは、主の力と誠実さを信頼する故だった。

2.義と認められる

人の心の奥底までも見通す方は、全ての人が罪人だと見られる。そこで主は人の身代わりとなったキリストを裁くことで罪の刑罰を果たした。そして主を信じる者は、その信仰によって義と認められる。神は時間をも造ったお方なので、時間に拘束されない。キリスト以前の旧約の民も、主を信じるなら、後のキリストの贖いにより義と認められた。

3.将来の計画

主への信仰は無言になることではない。アブラムは信頼するからこそ、率直に「どのようにして」と主に尋ねた。すると主は後の計画を明かされた。主の計画は、単にアブラムの人生だけにとどまらず、将来まで続く大計画があり、アブラムは計画の一部にすぎない。しかし、アブラムが信じるかどうかが、ご計画の実現に決定的な影響があることも確かで、だからこそ主は信じるかどうかを注目する。私たちは、自分の歩みが自分の後に続く者たちに多大な影響を与えることを自覚し、責任のある生き方をしたい。
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2014年11月9日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 15章1節〜5節
宣教題:「恐れるな」
國分牧師

1.勝利の後の励まし

勇敢に戦い勝利をおさめたアブラムに対しては、励ましのことばはそぐわないように感じる。しかし主が「恐れるな」と言われたということは、実はアブラムの心には恐れがあったということ。私たちが真に恐れるべきは主ご自身。他のものを恐れるなと主は励ましておられる。

2.アブラムの恐れ

アブラムは外敵を恐れていたのではない。跡取りがいないまま年老いていくことを恐れていたのである。彼には子がいない。甥のロトとも別れた。ソドムに住むことを選び取ったロトとは価値観の違いも痛感していただろう。このまま自分にもしものことがあれば、家の中で最も重い責任を与えている僕が後継者にならざるを得ない。それがみこころなのだろうかと考えると、気が重くなるのがアブラムの本音だったのだ。

3.信仰のチャレンジ

主は子孫を与える約束を再確認し、夜空の星のように子孫を与えると言われた。約束を信じるかどうかはアブラム次第である。信じてカナンに来たのが75歳。それから10年近い時が過ぎ、それでもなお主の約束を信じるのか。時間の経過を私たちは恐れ、早く結果を見たいと願う。主は時をも支配されていることを信じよう。遅すぎることはないのだ。
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2014年11月2日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 14章19節〜20節
宣教題:「神よりの祝福を受けよ」
國分牧師

1.ロトを救出したアブラム

アブラムのおいロトが住むソドムは、戦争で負け、略奪され、ロトも捕虜として連れ去られた。アブラムは自分のしもべと盟約していた友人たちとで追い、敵を撃退してロトらを救出した。

2.メルキゼデクの祝福を受ける

凱旋するアブラムを祝福するために、サレムの王メルキゼデクがやってきた。天地の造り主である神からの祝福を受けるようにとアブラムに語り、持参したパンとぶどう酒を提供した。アブラムは祝福を受け、メルキゼデクに戦利品の10分の1をささげた。

3.ソドムの王の祝福は断る

もう一人の王が来た。戦争で負けたソドムの王だった。彼はアブラムに国民を自分に返し、アブラムが敵から奪い返した財産はアブラムのものにするようにと申し出た。謙虚に聞こえるが、財産をアブラムに取らせることで、アブラムの勝利を自分の手柄にするしたたかな計算も感じる。アブラムはソドム王のものは一切受け取らないと断る。アブラムが受け取ったのは、神からの祝福。真に勝利を得させてくれるのは造り主なのである。
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