> 礼拝メッセージ > 2014年5月

礼拝メッセージ(2014年5月)

今月のみことば
神である主は仰せられた。 「人が、ひとりでいるのは良くない。  わたしは彼のために、彼にふさわしい  助け手を造ろう。」(創世記 2:18)



2014年5月25日

國分広士牧師
聖書箇所:ヨハネの福音書 8章1〜11節
宣教題:「罪のない者が裁く」
國分牧師

1.イエスをためす(1-6)

パリサイ人らが意見を求めたのは、もし「ゆるせ」と言えば律法違反と告発する意図からだった。もし「殺せ」と言うなら、「愛がない」と人々を失望させるのでそれも良いという計算。しかし律法には「姦通した男も女も必ず殺されなければならない。」(レビ20:10)とあり、女だけを連れて来たのは不自然。真に律法を遵守する姿勢とは異なる。

2.女はそこにいた(7-9)

主イエスの「罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われたのは、最初に証人が石を投げよという律法の教えから。律法をよく知る年長者たちから、自分には罪を責められないと悟りその場を去る。ところが女はこの機会に姿をくらまさずにそこにとどまった。主は石を投げうる罪なき人だったが、女は主の裁きは受ける覚悟があった。

3.わたしもあなたを罪に定めない(10-11)

主は「決して罪を犯してはなりません」と語られたように、罪をいいかげんには扱わない。主の前に罪を認め、自分の身をゆだねる彼女の罪は、主ご自身が代わりに背負って十字架で死ぬというご計画のゆえに、それを先取りして赦すのである。私たちも主のさばきが真実で愛にみちたものであることを信じ、自分の身を委ねよう。
音声を聞く(MP3 64Kbps 24分)


一覧表に戻る

2014年5月18日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 4章16〜25節
宣教題:「もうひとりの子」
國分牧師

1.カインのその後(17)

弟を殺し追放されたカインだが、町を建てるという大事業に取り組み、妻をめとり子を生むこともできた。仕事も家庭も充実しており、人間的には幸福を得ていた。しかし、その幸福は神に与えられたものと思うのか、自分で獲得したものと思うのか、受け止め方の違いは大きい。

2.人類の繁栄と傲慢(18-24)

カインの子孫は増えて行き、文化も進み、繁栄していく。しかし、その繁栄を神に感謝していたのかは疑問。レメクが自分の妻たちに語る言葉は実に傲慢。「七倍の復讐」という神の守りより、自分の復讐の方が十倍も大きいと勝ち誇る。しかしそれは過剰防衛。神の裁きを恐れず、自分の愚かさに気づかない姿は悲しい。

3.謙虚な受け止め方(25)

セツを生んだエバの言葉には、神への感謝が感じられる。我が子が弟を殺すという最悪の出来事を経験し、神に逆恨みする可能性もあったのに、もう一人の子が生まれた時に「彼(アベル)の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられた」と語り、神が自分を慰めてくださったと感謝している。元々は神に背いてエデンを追放された自分の罪を自覚しているからこそ、素直な感謝も生まれる。子を得たことだけでなく、神に感謝するなら喜びは二倍。罪を悔い改め神に感謝する者になろう。
音声を聞く(MP3 64Kbps 29分)


一覧表に戻る

2014年5月11日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 4章1〜15節
宣教題:「負いきれない咎」
國分牧師

1.主によって得る(1-2)

エバは、子を与えられた感激から「主によって得た」と告白した。いのちの誕生は神秘的で、全てのいのちは主によることを私たちに学ばせる。いのちそのものを与えた神と、生み育ててくれた母に感謝しよう。

2.主へのささげもの(3-7)

主によって与えられたことを感謝し、人はささげものをするようになった。神はささげものを必要としているのではないが、人間の服従心の表現として「正しく行ったのであらば」ささげものを受け入れてくださる。しかし人間はすぐに他者と自分を比較し、ささげものさえ優劣を競う材料になる。

3.負いきれない咎(8-15)

カインは弟アベルを妬んで殺す。神にさえ、しらを切ろうとするが、人間はだませても神はごまかせない。カインは初めて自分の罪の大きさを悟り、「負いきれない」と告白する。カインだけではない。人は自分の罪を負いきれない。負えると思うなら、それはまだ罪の重さを知らないから。注目すべきは、嘆くカインに主が励ましを与えたこと。神は殺人者カインをも愛する。神は罪人を救うためにひとりごを十字架にかけられたお方なのだ。
音声を聞く(MP3 64Kbps 33分)


一覧表に戻る

2014年5月4日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 3章17〜24節
宣教題:「恥を覆ってくださる神」
國分牧師

1.ちりに帰る理由(17-19)

いのちは神から与えられたもの。いのちの源である神が、いのちを与え続けて下さらなければ死ぬのは当然。元々土から造られたので、死ねば土に帰る。神のことばを信じないで反逆するのは、愚かな自己破壊だと、神は私たちに語りかけておられる。

2.神との交わりからの追放(22-24)

神は人をエデンから追放する。罪を持ったまま神と親しく交わる事はできないし、直ちに滅ぼすのではなく、人間に悔い改めの猶予を与えるためでもあった。いのちの実も食べて、罪人のまま永遠に生きるという最悪の結果にならないためでもあった。

3.恥を覆う皮の衣(20-21)

罪を犯した人は、裸で居る事を恥じ、隠そうとしたが、うまくできなかった。神は「裸を恥じるな」と強弁せず、その恥を覆うため、皮の衣を造って着せて下さった。整えられたエデンの園と違い、外の世界には様々な危険が伴うので、衣服は必需品。いちじくの葉の腰おおいとは比べ物にならない。人の恥を覆うのは、人を愛し、罪を赦すという神の意思の現れ。自分の恥を、十字架の贖いによって覆っていただこう。
音声を聞く(MP3 64Kbps 24分)


一覧表に戻る