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礼拝メッセージ(2014年1月)

今月のみことば
初めに、神が天と地を創造した。(創世記1:1)



2014年1月26日

國分広士牧師
聖書箇所:詩編19篇
宣教題:「たましいを生き返らせる教え」
國分牧師

1.神の栄光を語るもの(1-6)

世界を見て、造り主のみわざを思う。自然は何も語らなくても、その存在自体が、偉大な創造者の存在を物語っている。世界は静止しているのでなく動いている。日は沈むがまた上る。冬を堪え忍べば春がくる。世界は無意味に動いているのではなく規則的に、いのちを守るように動いている。世界には全てを慈しむ偉大な創造者の愛があふれている。

2.神ご自身の教え(7-8)

太陽の光が全てを明るく照らすことに注目。太陽と同じように主から与えられている主の教えは、全ての人の心を照らす。太陽はまさにそのことを語っている。その輝きで、主の教えのすばらしさをあかししている。

3.それを見て良しとされた(9-14)

心が照らされると、隠れている罪も明らかになる。神には隠し事はできない。それでも自分には罪はない、責められるような問題はないと思うのは傲慢。主を恐れ、悔い改めて赦しを願おう。みことばは悔い改める者の罪を主が赦してくださると教えている。罪が赦されると、たましいが生き返る。真に人のたましいを生き返らせる主を信じよう。

音声を聞く(MP3 64Kbps 15分)


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2014年1月19日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 1章6〜25節
宣教題:「種類に従って造られた」
國分牧師

1.名づけられた(5-10)

神はご自分の造ったものに、それぞれの名をつけられた。名前は「区別」を表す。これとそれは違うものなのだと神は思っておられる。それぞれが異なる意味を持つ別々の存在なのだと。神は存在ひとつひとつに心を注がれる方なのである。

2.種類に従って(11-25)

区別はさらに細かい部分にも及ぶ。たくさんの植物や動物を造られたが、それぞれが「種類にしたがって」と言われている(11-12,21,24-25)。その種類は膨大。現存する動物類だけで100万種類ある。絶滅種や植物もあわせればはるかに多い。生物は放置しておけばひとりでに新種が発生するようなイメージを持ちやすいが、種類は神の意志によって意図的にたくさんに造られたと聖書は教える。目立たないような生き物が実は重要な役割を果たしている。そうやって生命全体で調和のとれた地球環境を形成するようにという意図をもって、神は数多くの種類を造られた。特定のものだけではなく、神の造られた全体に意図がある。私たち自身の存在にも意味がある。

3.それを見て良しとされた

神は評価される。最終的に人間を迎える準備を一つ一つ整えチェックしておられるように感じる。神に「良し」とされるのは幸い。存在は個々の価値だけでなく、互いに役立つように配置されてこそ「良し」と言える。居るべき場所にいてやるべき事をやれるように、神に自分自身を造られた目的を尋ねよう。へりくだって、与えられた生を喜んで生きよう。

音声を聞く(MP3 64Kbps 26分)


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2014年1月12日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 1章1〜5節
宣教題:「最初の日」
國分牧師

1.仰せられた

神が仰せられると光があった。神がことばを発する前は「何もなかった」。神のことばですべては始まる。だからこそ、私たちはみことばを求めるのである。もしも神が「拉致被害者を解放せよ」と命じれば、ただちに拉致問題も解決する。こんなに偉大な方に私たちは親しく祈り求めているのである。日々、神のことばを求めよう。

2.良しとされた

神は評価される。良いか悪いかを決めるのは神。神こそ絶対的に信頼できる基準。絶対的な基準がなければ相対的にしか計れない。重力のようなのもの。宇宙船の中では無重力なので、上下の基準がない。たまたま自分がいる位置から見ての方向しかないし、その自分も宇宙船の壁がなければ、フワフワどこかへ行ってしまう。重力で縛られているから私たちは安定していられる。基準である神のお考えを良く知ろう。

3.区別された

区別は聖書の中で重要な概念。例えば「聖」という言葉があるが、これは「俗」とは区別されるということ。光とやみを区別することは、神の基本的な姿勢の表れと言える。神は光と闇を区別された。明るくても暗くても良いのではない。神が良しとされたのは光であって闇ではない。神は光を求めて来るようにと招いておられるのだ。私達も闇から光へと移される事を求めよう。

音声を聞く(MP3 64Kbps 24分)


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2014年1月5日

國分広士牧師
聖書箇所:創世記 1章1節
宣教題:「天地を創造した神」
國分牧師

1.初め

「初め」とは原点。聖書は原点から語る。反省するときには「原点に返る」ことが大切。新しい歩みを願うなら、原点に立ち返り、本来の姿を確認しよう。では原点とは何なのだろうか?自分の人生の初めを考えると、親の人生があったことを無視できない。親にもその親がおり、先祖の歩みが自分を形成する基盤になっている。どこまでたどれば原点と言えるのだろうか?

2.神

聖書は原点に神がおられると教える。科学はビッグバンから宇宙が始まったと考えるが、そのビッグバンは無から生じたと考えられている。科学の示す原点は無。神が創造する前には世界はなかったという点では一致するが、人間の知恵にすぎない科学は世界を創造した神を見いだせないでいる。これは人間の知恵の限界を示しているのであり、科学が確認できないものは存在しないという態度は傲慢。申命記29:29のように、隠されていることもあることをわきまえ、表された事に傾注する姿勢を持ちたい。

3.創造

聖書は神の創造によって私たちが存在するようになったと教える。誰が神の創造を目撃したのか?もちろん神自身しか知らないことである。最初の人間アダムは神から創造のみわざを聞いたことだろう。その知識は子孫に語り伝えられたはずだが、伝承は不信仰な人間によって変質もする。モーセが神と親しく交わり教えられ書き記することで正確な知識が与えられた。創造者しか知りえない事実を伝える事で、神は「私があなたを創造したのだ」と語りかける。自分を計画的に造った方が、今も自分に語りかけておられることに感謝し、そのことばである聖書を積極的に読もう。

音声を聞く(MP3 64Kbps 28分)


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2014年1月1日

國分広士牧師
聖書箇所:箴言1章7節、9章10節、15章33節
宣教題:「何よりも主を恐れよう」
國分牧師

1.主をたたえるために開けられた唇

エリサベツは男子を出産した。通常は父親が名付けるのだが、口がきけないので親族が代わりに父の名を受け継がせようとする。それをエリサベツが拒むので筆談で父ザカリヤに確認し、天使に告げられていた「ヨハネ」と名付けた。命名が実現したとき、ザカリヤの口が開けられた。今度は疑いの言葉を発するためではなく、神をたたえるために。

2.罪の赦しによる救い

ザカリヤは聖霊に満たされて救いの成就について預言した。半年後にマリヤが救い主を出産する事をザカリヤも知っていた。救い主の先に立って道を備えるのが我が子の役割である事も。その救いは自分たちを憎む敵からの救いだが、武力によってではなく「罪の赦しによる救い」なのである。ということは敵とは罪を犯させるサタンなのである。

3.神の深いあわれみ

罪を犯す者はサタンの奴隷であり、やがて神に滅ぼされる。しかし神は人をあわれみ、罪を赦してサタンの側から神の側へと移そうとされる。総攻撃の前に降伏を勧告するようなものである。神に降伏する者は赦され救われる。この降伏の勧めをするのがヨハネの使命であり、我らキリスト者の使命でもある。神の深いあわれみを伝えよう。罪人は確実に滅びに向かっている事と、救いの道は神の与えた救い主イエスを信じる事なのだと言う事を。

音声を聞く(MP3 64Kbps 29分)


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