2021年6月20日 主日礼拝

出エジプト 19章16~21節
國分広士牧師

1.主に会うため山の上まで幾度も上るモーセ

①19:3上る→19:7下山
②19:8上る→19:14下山
③19:20登る→19:25下山
④20:21上る→24:3下山
⑤24:9 70人の長老たちと登る(下山の記述なし)
⑥24:13モーセとヨシュアで登る(40日山に滞在)→32:15下山
⑦32:31民のとりなしのため登る→32:34下山
⑧34:3再び十戒のことばをいただくため登る→34:29下山(顔が輝く)

  • このときはシナイ山が神殿の役割を果たしていた。
    会見の天幕ができてからは、幕屋が移動式神殿となった。
    「神が臨在される所」で主と会うことができる。
  • 現代、主が臨在される場所はどこか。
    あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。(Ⅰコリント3:16)

2.神に会わせようと、民を山のふもとに立たせた(17)

  • モーセは幾度も神と会って話している。最初は3:1-4:16。以後、山でない場所でも、神と会話している。しかし、最初は神の山。モーセは自分と同じように、神に会う体験を民にもさせたかった。
  • このとき、シナイ山は全山が煙っていた。また山全体が震えた。(18)
  • 主が臨在しておられることを、民が体感的に理解する手段であったと思われる。民は震え上がった。(16) 主の臨在を感じた。
  • モーセは山のふもとから主に呼びかけ、主は山から声を出して答えた。(19)
  • このあと、主がモーセだけを山に呼び(20)、再び民のところに戻した。(24)
  • 主が山から語る時に、混乱して主の方に押し破ってこないように警告を与えるためだった。民は不安定であり、暴走する危険性があった。
  • 山から主が十戒のことばを語った時、民は山のふもとでそれを聞いた。彼らは非常に恐れた。(20:18)そして、自分たちが直接神のことばを聞くのでなく、モーセが神のことばを取り次ぐよう求めた。(20:19)「さもないと、私たちは死んでしまいます。」と言うほど、恐れたから。

3.神を知る経験

  • 深く神を知るモーセと、まだ神をよく知らない民とでは、理解にも意識にも大きな差があった。モーセは差を埋めたいと願ったが、簡単には埋まらなかった。
  • 主は民の限界もよくご存知だった。主のことばを聞いたあとで、偶像を作ってしまう愚かな者であることも。わかった上でイスラエルを導くためにモーセが用いられた。彼の役割はエジプト脱出で終わらない。主のことばを伝えることこそ彼の使命。主は民が自分の直感で主を知る方法(仏教の悟りのような)ではなく、モーセを通して聖書を与え、聖書のことばで主を知る方法を定めた。
  • 「主の方に押し破って来て(21)」とは、「山に登れば主がわかるだろう」という自分本位の発想。しかし主が啓示されなければ無意味。主が明らかにしてくださった事柄に注目しよう。

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。<申命記29:29>